ベーシック・インカム実現プロジェクト

ベーシック・インカム導入を問う国民投票がスイスで行われ否決されましたが、反対された大きな理由の一つが財源問題です。「ベーシック・インカムのお金は、どうやって調達するんだ?」というわけです。
でも、今のお金は信用創造、すなわち、短期的な利益をあげることを義務づけられた銀行貸出マネーによって生み出されたものです。
そのお金でベーシック・インカムを実現しようとするから、無理と矛盾が生じているように感じます。生活とは末永く続く豊かさと幸せを築き上げていく長期的なものだからです。

世界で初めてベーシック・インカム(国民配当)を提案した、エンジニア出身の異端の経済学者、C・H・ダグラスは、生産コストは常に労働者に対する給料をはるかに上回っていると指摘しました。

どういうことかと言いますと…。
たとえば、レストランなら商品価格の30%~40%が仕入れ、そこに家賃や水道光熱費、広告宣伝費、減価償却費(げんかしょうきゃくひ)、メニュー開発費、銀行への返済などがあって、人件費は25%~30%くらいです。製造業もばらつきはありますが、だいたいそのくらいでしょう。
つまり、生産コストに7割もかかっていて、「生活(消費)のためのお金」となる給料(人件費)は商品価格のたった3割だけということなのです。企業間の競争は過酷なものとなるのも、そのわずかな「生活(消費)のためのお金」を奪い合わなければならないからでしょう。

根本的な問題は、生産者側の企業に対しては、銀行の貸し出しマネーによって、「生産のためのお金」が提供されますが、「生活(消費)のためのお金」は、そのおこぼれ的な給料という形でしか回ってこないということなのです。

つまり、「生産のためのお金」のことしか考えられていない銀行の貸し出しマネーでは、「生活(消費)のためのお金」はまかなえないことになります。
その証拠に日本のGDP(1年間の国内全体の儲けを合計したもの。企業利益と個人所得の合計)は、1990年代以降、ほぼ横ばいの500兆円前後ですが、その間にお金の量はどんどん増えて、500兆円から1239兆円にもなっています。 このようにお金はじゃぶじゃぶとあります。でも、人々の収入は増えていないのです。 結局、銀行貸し出しマネーだけでは、人々の給料を増やせないということでしょう。
だから、常に「生活(消費)のためのお金」が不足するのです。

そこで、消費者側に信用創造することが考えられます。
ベーシック・インカムとしてお金を生まれさせるのです。
生産と消費は一体のもの。それに必要なお金を、生産者側から入れても、消費者側から入れても同じことです。 それならば、消費者側に信用創造してしまってもいいではありませんか! これで、生産と消費のバランスがとれるようになります。

お金の本質について考えた大先輩に、日本では「モモ」の作者として知られるミヒャエル・エンデという人がいます。「モモ」は30カ国以上の言語に翻訳され、子供から大人まで世界中の人たちに愛され読み続けられている物語です。そのエンデは「人々はお金を変えられないと考えていますが、そうではありません。お金は変えられます。人間がつくったのですから」と訴え続けました。

そんなエンデの訴えに応えるかのように、古山さんは「減価マネーE円」というベーシック・インカムを実現させるための新しいお金、「生活(消費)のためのお金」を作ることを提案しています。

電子式減価マネーE円(以下、E円と表記します)は、ベーシック・インカムを確実に実現させるために欠かせない、まったく新しいお金です。 これまでのお金は、富を作るためのお金(生産本位制マネー)です。E円は、暮らしを支えるためのお金(生活本位制マネー)です。 E円は、使わないと少しずつ減る仕組みになっています。硬貨や紙幣ではなく、カード(電子式)を使用します。 E円は、普通のお金と共存します。

新しいお金を作ろうとするとき、それを受け取った人の立場を考えなければなりません。そのお金を受け取ったお店にとって、使い道があるかどうかなんです。もし使い道がないならば、お客がE円で払おうとしても、お店としては「普通のお金で払ってください」と言います。そうなったら、もうE円は流通しないお金になってしまいます。

どうすれば、E円を受け取った側が、そのお金をもらっても不自由しないでしょうか?

必要なことは、E円をそのまま納税に使える通貨として認めることです。

E円は国が作る公共通貨です。その通貨を国が税金として受け取らなくて、「税金は日銀券で払ってくださいね」などと言ったら、そんな通貨は誰も信用しなくなってしまいます。だから国は、普通の円とE円を分け隔てなく、税金として受け取ります。地方税にも使えます。

そうすれば、どこのお店も会社も、E円を受け取ります。税金に使えるなら、誰でも必ず使い道があるからです。そうすると面白いことが起こります。E円は月に1%ずつ目減りするお金です。商売をしている人たちにとって、月に1%は死活問題です。E円を受け取ったら、さっさと手放してしまおうとします。税金の支払いに使えるなら、E円をつまみ出して、払ってしまいます。それでもまだE円があるなら、先の税金まで払おうとします。持っているよりはましですから。つまり、税金の先払いが流行るようになるでしょう。納税者が「来年のぶんまで払わせろ」と言うと、税務署が「ダメです。今年のぶんしか受け取れません」と押し問答するようになるかもしれません(笑)。

我々はお金を貯めたがります。すべてのモノは、腐ったり、すり減ったり、壊れたりしますが、お金にしておけばいつでも欲しいモノと交換できるからです。お金が貯まっていると、とても安心できます。

すると、どうしても貯めるのが上手な人と下手な人がいます。上手な人はたくさんお金を集めて、使わずに貯め込みます。そうすると、お金が循環しなくなります。トランプでチップを全部集めてしまう人ができると、ゲームが続行不能になるようなものです。生活に苦しむ人ができるし、経済活動も滞ります。

そこで、貯まったお金が活用されるように、利子という制度を作って、お金持ちがお金を貸すように仕向け、銀行がその仲立ちをします。これで、お金が死蔵されることはなくなります。そうするとお金を持っている人は、何もしなくてもお金を殖やすことができますが、お金のない人は利子ぶんをたくさん払わなければなりません。貧富の差がどんどん大きくなり、やがて、ドカーンとすべてをご破算にしてしまうような事態が起こるでしょう。

そこで、シルビオ・ゲゼルという経済学者は、減価するお金、しかも納税に使えるお金を考え出しました。彼は、あらゆるモノが老化するように、お金もまた老化しなければならないと考えた人です。お金だけ老化しないから、お金は神のように崇められ、人々は買った瞬間から価値が減ってしまうモノよりも、価値の減らないお金を好んで貯めこもうとするのだと…。だから、お金の価値が少し低くなるようにするのです。そうすると、お金は貯め込まれなくて、よく流れるようになります。オーストリアのチロル地方にあるヴェルグルの町長さんは、そのゲゼルの理論を実行したのでした。

1932年のヴェルグルは深刻な不況のため、工場はどんどん閉鎖され、失業者は町にあふれかえっていました。そのため、まったく税金も納められない町は、破産へと一直線に向かっていたのです。

そんな進退極まった状況で、「労働証明書」といわれるスタンプ通貨が発行されました。この「労働証明書」は毎月1%ずつ老化していきます。だから、毎月1%ぶんのスタンプを買って「労働証明書」に貼らなければなりません。

その結果はどうだったのでしょうか・・・?

「労働証明書」が流通していた13.5ヵ月の間に流通していた量は平均5490シリング相当に過ぎず、住民一人あたりでは、1.3シリング相当に過ぎません。しかしながら、この「労働証明書」は週平均8回も所有者を変えており、13.5ヵ月の間に平均464回循環し、254万7360シリングに相当する経済活動がおこなわれました。これは通常のオーストリア・シリングに比べて、およそ14倍の流通速度です。回転することで、お金は何倍もの経済効果を生み出すのです。こうしてヴェルグルはオーストリア初の完全雇用を達成した町になりました。「労働証明書」は公務員の給与や銀行の支払いにも使われ、町中が整備され、上下水道も完備され、ほとんどの家が修繕され、町を取り巻く森も植樹され、税金もすみやかに支払われたのです(日本人が知らない恐るべき真実 安部芳裕著)

しかし、オーストリアの中央銀行から、国の通貨システムを乱すという理由で禁止通達を出され、裁判をして闘ったものの敗れてしまい、翌年、廃止させられました。そして、完全雇用だった町も、再び30%近い失業率になってしまったのです。

減価するお金は、お金を貯め込む人たちから、お金を徴収するのと同じ働きがあります。人々はお金を貯めるより、お金を使おうとします。お金は滞らずに循環するようになります。しかし、お金が目減りするだけだったら、みんなが貧乏になります。お金が湧き出しているところが必要です。

すべての個人ごとに、必要な生活費としてお金を湧き出させることが、お金のもっともよい湧き出しどころだと思います。どんな文明であろうが、人々の生活維持が経済活動の根幹なのです。生活費は、労働と生産を生み出すために使われ、次の人へと循環していきます。
結局、あらゆるモノの中で、お金だけがずば抜けて高い価値を持っていることが問題なのです。そのため、経済活動の中で、お金の獲得を自己目的とすることが広がっています。お金があちこちに吸い取られて流れなくなり、必要なものが必要な人のところに届かなくなるのです。 でも、お金は血液のようなものです。流れていることに価値があります。生活する人と、生産する人の間を行き来しているときに、本来の役割を果たします。
お金が、お米と同じように価値が減っていくものだったら、どうなるでしょうか…。お金が減価することに、奇異な感じを持たれるかもしれません。
しかし、考えてみれば、すべてのものは自然に価値を減らしていくのです。
食料品はじきに食べられないものになります。衣服は、着ているうちに汚れ、すりきれてしまいます。電気製品も、家具も、住宅も、劣化していきます。
価値不滅のお金より、減価マネーのほうが自然です。
減価マネーが使われるようになると、お金だけずば抜けて、高い価値を持つわけではなくなります。お金は、本来の、交換の仲立ちという役割に戻っていくでしょう。

ベーシック・インカムと目減りするお金の組み合わせは、いつも流れている川を作り、そこから誰でも水をくめるようにするようなものです。誰でもが安心できる社会を作れます。しかし、目減りしないお金も存在していないと、今の経済はうまくいきません。普通の円とE円が共存していくのがいいと思います。
このお金は、10年、20年先の短い期間の利益を考えて作られるお金ではありません。100年、200年先まで末永く続くような豊かさと幸せを作り出すために先行投資されるお金なのです。
J.P.モルガン銀行国際金融ディーラーだった大西つねきさんも、次のように訴えます。以下、引用します。

復興事業や持続可能な社会を作るための事業は、恐らく国家百年の大計とも言うべき大事業である。国家百年の大計とは、民間の手には負えない百年単位の価値の創出を国家が担うということだ。課題となる壊れた町の再興、今後の災害に備えた全国規模の社会基盤の整備、原発事故の処理、再生可能エネルギーの開発、それら全てのための人材育成など、その仕事の大きさを考えれば、正にそのぐらいの覚悟が必要だろう。その恩恵が百年かそれ以上に渡って社会にもたらされるのであれば、「百年単位のお金」が発行され、それで賄われなれければとても帳尻が合わない。「百年単位のお金」とは、その分の価値が百年の間に社会に生み出されることを見越した上で、実際に価値が生み出されるまで、先行して増やされるお金のことだ。先行と言っても、生半可な先行ではない。百年の先払いである。その時間軸で考えれば、予算のやり繰りや増税はもとより、国債の発行も全くお金の発行にならない。(中略)お金を発行せずに、このような大きな国家事業をやろうとするとどうなるか?お金が足りなくなるのである。新たにお金が発行されなければ、発行済のお金からそれを調達するしかない。だが、それは本来、全く別の目的のために発行されたお金である。通常は、誰かの営利事業への融資として発行されるのだから。その一部を税金で集め、国家事業のような短期的に利益を生まない事業に注ぎ込めば、本来の事業のためのお金が足りなくなる。国家事業が大きくなればなるほど、多くの人手、多くの資金を必要とし、その恩恵が社会を潤すまでの時間もかかり、大きな無理が生じるのだ。結果的に何が起きるかと言うと、どちらもお金が足りなくなる。十分なお金、十分な人手を動かせないまま、真の復興も持続可能な社会も遠のき、既存の経済にもお金が足りなくなり、我々に苦痛を強いるだけとなる。だから、これらは税金や政府の借金でなすべき事業ではない。
(希望~日本から世界を変えよう 大西つねき著)

お金のためでなく生きたい人たちがたくさんいます。この人たちの力が社会に現れてきたら、素晴らしいことが起こります。お金にとどまらない豊かさが、社会に湧き出てきます。経済の目的は、豊かな生活を送ることそのものです。
どうして経済の目的が「お金を稼ぐ」にすり替わってしまったのか…。

人間が作ったお金という道具が、こんなにも多くの人たちを悩み苦しめているのに、他の道具はどんどん改良され、ますます人間にとって便利な道具となっているのに、どうしてお金という道具だけ改良するという努力を怠っているのでしょうか?

お金を稼ぐことが、思いやりや優しさ以上に大切にされる世の中、経済的に自立できなければ一人前と見なされない世の中は、もうコリゴリではないでしょうか?

思いやりや優しさを育むためにこそ、お金はあるべきではないでしょうか…?

今、目の前から始める小さくても大きなゲームプラン

ベーシック・インカムとは人が生きることを無条件に保障する制度です。
だから、人を無条件に大切にしようとする心が制度となったものだと言えるでしょう。ならば、まず私たち自身の心がそうなっていなければならないと思います。そのためには、人を大切にすることの意味と価値を、しっかり理解していなければならないとも思います。それが、ベーシック・インカム実現の最初のステップだとは言えないでしょうか…。

他人の考えを想像することはできても、それが正解かどうか決して分からないもの、それゆえ、他人の言葉や表情や態度は、決して信じることができないものです。
その視点から考えてみると、僕らが人間不信を感じてしまうことの方が自然なことで、信頼しあっていることの方が不自然なことのように思われます。にもかかわらず、僕らは、お互いを信頼する気持ちの方が、なぜか不信感よりも強いようです。

その証拠に、多くの人が人間不信のあまり精神を病むなんてこともなく、たくましく生きています。とにかく人類が滅亡もせず、今日まで存続していることこそ、何よりの証拠でしょう。誰もが騙され、裏切られたり、ひどい仕打ちを受けたり、憎しみ、怒り、悲しんだ経験があるにもかかわらず、それでもなお、僕らは基本的に人間を信頼しているのです。

これはいったいどういうわけでしょうか…?

その問いについて、哲学者の鷲田清一さんは、次のように言います。

ひとは生まれてからかなり長いあいだ、だれかに食べさせてもらう、うんこの後を拭いてもらう、からだを洗ってもらう、別の場所に移動させてもらう、寝かしつけてもらう。まるごと存在の世話をうけるのだ。成長したらいつも条件つきになる。「もし~したら、これしたげるからね」というふうに。しかし赤ちゃんのときは、<わたし>がここにいるということだけで、だれかがなんの条件もつけることなく関心をもってくれ、世話をしてくれる。いや、してくれた。だからいま<わたし>は死ぬこともなくここにいる。<わたし>がいまここにいるということがその証だから、ひとはたとえひとのひどい裏切りにあっても、それでもめったに倒れずに生きていける。このわたしを<わたし>としてそのまま肯定してくれる他者がいるということ、他者によるその無条件の肯定の経験が、ひとへの最後の信頼というものを支えてくれている。
(弱さのちから 鷲田清一著)

無条件の肯定が足りなかったぶんだけ、私たちは人間不信に陥ったり、生きることの不安を抱えこんでしまったりするのでしょう。
「働かざる者食うべからず」と冷酷なことを言い合ったり、法律や教育で他人の行動を縛りつけたりしてしまうのです。

その不安な心が、理不尽なお金のシステムを作り出してしまったのかもしれないとも思うのです。

ならば、私たちが目指すべきことは、ただひとつです。

すなわち、この世から人間不信や生きることの不安が一切なくなるまで、無条件に人をどこまでも大切にしていくこと。

それが、ベーシック・インカムの心です。

だから、今、目の前の人を大切にしようと心がけていくことが、ベーシック・インカム実現に向けての小さくても大きなアクションになると確信しています。

とは言っても、今、目の前の人を大切にするには、具体的にどうしたらいいのでしょうか…?
あらためて、どうすることが人を大切にすることなのかと考えてみると、分かっているようでよく分からないのです。
そんなとき、アンパンマンの作者、故・やなせたかしさんの言葉に出会いました。以下、紹介します。

長い間、人生を生きてきたが、星の命に比べたら、百歳まで生きたって、瞬間に消え去って行くのと変わらない。
人間は、宇宙的にいえば、ごく短い間しか生きはしないのだ。
つかの間の人生なら、なるべく楽しく暮らした方がいい。
それでは、人は何が一番楽しいんだろう。
何が一番うれしいのだろう。

その答えが「よろこばせごっこ」だった。
母親が一生懸命に料理を作るのは「おいしい」とよろこんで食べる家族の顔を見るのがうれしいからだ。
父親が汗をかいて仕事をするのは、家族のよろこびを支えるためだ。
美しく生まれた人は、その美しさで人をよろこばせることができる。
学問が得意な人は学問。
画を描ける人は画を描くことで。
歌える人は歌で。
人は、人がよろこんで笑う声を聞くのが一番うれしい。
だから、人がよろこび、笑い声を立ててくれる漫画を長く描いてきた。
自分が描いた漫画を読んで子どもたちがよろこんでくれる。
そのようすを見て、自分がうれしくなる。
こうして「よろこばせごっこ」ができることが本当に幸せだ。
(明日をひらく言葉 やなせたかし著)

「この人はどうしたら喜んでくれるだろうか?」「この人は何が好きなんだろうか?」と考えるのは、その人を大切に思うからでしょう。
「人を大切にする」とは、みんなで「よろこばせごっこ」をすること。

「人を大切にする」なんて言われると何だか難しそうだけど、「よろこばせごっこ」ならみんなで楽しくやれそうです。
もし、私(僕)も「よろこばせごっこ」をやってみたいと思ってくれたなら、ぜひ「ベーシック・インカム実現プロジェクト」無料サポーター登録してください。みんなで「よろこばせごっこ」の輪を広げていくことが、小さくても大きなベーシック・インカム実現への第一歩となると確信しています。

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そして、サポーターになってくれたみんなでやりたい「よろこばせごっこ」があります。
いきなりベーシック・インカムでは、あまりにも話が大きすぎて、その実現を真剣に考えれば考えるほど、途方に暮れてしまうようなところがあります。もっと身近なところから始められて、みんなが参加しやすいものが必要です。
何かいい方法はないものかと悩んでいたところ、古山さんのブログに次のような記事がアップされました。以下、紹介します。

一昨年に出した拙著「ベーシック・インカムのある暮らし」で、新しい電子マネーを作って、増税なし、福祉切り下げなしでベーシック・インカムをやれる、という案を出しました。しかも、インフレを起こさずにやれると。

そうしましたら、神奈川のほうである地域通貨をやっている方から、「地域通貨で(ベーシック・インカムを)やれますか?」と尋ねられました。「うーん」と考え込んで頭の中でシミュレーションをやってみました。できます。 ベーシック・インカムをやれる地域通貨は、そこらへんのスーパーマーケットで食料品や日用品の買い物をするのに使えなければいけない。値引きクーポンみたいなものではなくて、生活必需品を買えないといけない。そうでないと最低生活の保障にならないです。 一方、その地域通貨を受け取るほうのスーパーは、仕入れをしなければならないわけです。でも仕入れは地域外からするのだから、地域通貨では受け取ってもらえない。だから、スーパーが売り上げで受け取った地域通貨を、普通のお金に交換できるシステムがないと、スーパーは営業できません。それで、ベーシック・インカムをやれる地域通貨の設計を始めていました。世界には、参考になるような地域通貨の例もあります。

そこに、私の元生徒のSさんがやってきました。「経済の見通しを教えてほしい」と。彼は、今は家業を継いで経営者の立場です。

よくぞ尋ねてくれました。

「日本の財政破綻がカウントダウン状況だよ。東京オリンピックくらいまではなんとか保たせたとして、その後くらいがヤバいんじゃないの」

「それで、どうなるの?」

「なるようになるさ。いま運営している人たちもそう考えているとしか思えないから、きっとそうなる」

「まずいじゃん、それ」

「そう思うよ」

「どうしたらいいの?」

「そこでね、新しいシステムを考えているところなんだ。財政破綻したとしても、大不況になったとしても、みんなにお金が回るシステムなんだ」

そして私は、地域通貨でベーシック・インカムをやる案の説明を始めました。

「できれば自治体に協力してもらいたい。それから、どこかの銀行か信用金庫にでも協力してもらいたい。そうすれば、できちゃう」

そうしたらSさんが「こんど、地元の商店街と市長の懇談会があるから、そこで話を出せるよ」と言いました。

1週間くらいしたら、「市長が、『説明を聞く』と言ってくれたよ」と彼が言います。地元の信用金庫の理事長も顔見知りだそうです。

それはいいね。じゃあ、さっそくわかりやすい説明を用意しなければいけないね。ということになりました。このブログでも、リアルタイムで進行を紹介しようと思います。(記事紹介はここまで)

この古山さんのアイデアをサポーターのみんなでやりたいのです。
財政破綻したとしても、大不況になったとしても、みんなにお金が回るシステム(減価マネーE円の地域通貨版でベーシック・インカムをやる案)を全国各地の自治体で立ち上げたいのです。これをサポーターのみんなでやる「よろこばせごっこ」にしたいと考えています。詳細は、無料サポーター登録されたみなさんに配信される無料メルマガで、随時、お知らせします。

2017年10月、「希望の党」の政策パンフレットには、ひっそりと「ベーシックインカム導入により低所得層の可処分所得を増やす」と書かれています。
これは国政政党として初めてのことです。 また、「地方自治に関する憲法第8 章を改正し、『地方でできることは地方で』行うとの分権の考え方、課税自主権、財政自主権などを位置付ける」「道州制導入を目指し、国の権限と財源を移していくことにより、道州レベルで、また世界レベルで競争するダイナミズムを創りだす」とも書かれています。 これらは「減価マネーE円」「地域通貨でベーシック・インカムをやる案」のどちらにとっても、最高の追い風と感じています。
古山さんからも「びっくりしました。議論は深まるでしょう。ベーシック・インカムの議論を始めると、必ず財源論で行き詰まります。つまり、普通の発想をすれば、増税するか社会保障費を回すかしかないのです。どちらも大反対が起こって、そこでベーシック・インカムが暗礁に乗り上げるはずです。そのとき、新しいお金を作るという案は、浮上できるとみています」とのメールを頂きました。「希望の党」の政策パンフレットを読んで、希望の光が見えてきました(笑)。

アンパンマンの生みの親、やなせたかしさんは、アンパンマンを世界最弱のヒーローだと言います。「世界中のヒーローを見ても、こんなに弱いヒーローはいませんよ。ちょっと雨に濡れるとダメっていうし、ちょっと顔が変形すると『ジャムおじさんに知らせて~』と泣きだしてしまう」と…。
でも、アンパンマンは雨に濡れても大丈夫なように防水加工しようとしません。顔が変形しないようにコンクリート製に改良しようともしません。
そもそも、そんなことしたらアンパンマンではなくなってしまいます。
弱さを抱えたまま、みんなに助けられながら元気100倍アンパンマンとなって、最後は必ずみんなを守るのです。

そんなアンパンマンと私たちは同じではないでしょうか?

弱さを強くなることで克服しようと私たちが頑張れば頑張るほど、ますます弱肉強食の生きづらい世の中になっていくだけでしょう。
そうではなく、私たち一人一人は助けあってしか生きられない、かよわい存在であるという事実を受け入れるだけでよかったのではないでしょうか…。
人間の弱さは悪いことじゃなく、本当は宝物なのではないかと思うのです。
なぜなら、自分の弱さを受け入れたときに、思いやりや優しさという美しい心は生まれてくるからです。そのとき、他人の弱さも受け入れることができます。そこに助け合いの心も生まれてきます。私たちは助け合うことでつながり、一人一人は元気百倍アンパンマンの働きができるのだと思います。みんなの力が一人に加わるから、一人の力が百倍になるのです。

強い者が賞賛される世の中は素敵でしょうか?

弱い者が安心して暮らせる社会こそ、誰にとっても心地よい社会ではないでしょうか…。

もし人間がこれほどまでにかよわい存在でなかったら、世の中に思いやりなんて必要なかったし、助け合いも存在しなかったのでしょう。
弱さは憎むべきもの、克服すべきものではなかったのだと思います。
弱さを忘れたとき、私たちは冷淡な人間でいられるのだとも思います。
弱いからこそ、私たちは助け合うことができるのです。
あなたの弱さは、それを助ける誰かの出番なのかもしれません。
それなのに、あなたが弱さを克服してしまったら、その誰かの出番も無くなってしまいます(笑)。

そんな弱さこそ何より尊いものと考え、「そのまんまでいいよ」と無条件に受け入れる…。それが、ベーシック・インカムなのです。

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プロフィール

減価マネー(E円)提唱者 古山明男
公共経済・教育研究者
1949年千葉市に生まれる。1973年京都大学理学部卒業。私塾運営や専門学校講師をしながら不登校や引きこもりの人たちを援助。1990年以降、「古山教育研究所」を設立し、賞罰に訴えない教育を研究・開発。公共経済としての教育費を研究すると同時に、「生活と経済の関係」の探求を進め、2009年青山学院大学で「ベーシックインカムのある社会」講演(「ベーシックインカムの実現を探る会」主催)。著書に「変えよう!日本の学校システム」(平凡社)「ベーシック・インカムのある暮らし」(ライフサポート社)この2冊は、必読図書です。

「ベーシック・インカム実現プロジェクト」世話人 奥原啓成
成蹊大学法学部政治学科卒業。一度は政治の道を志すも、弱い立場の人たちの意見が無視されやすい政治のあり方に疑問を抱くようになり、政治家以外の道を模索する。その後、会社員、会社経営を通じて、そのような政治のあり方とお金のあり方には密接な関係があることに気づく。また、武道をたしなむ中で、合気道の心とベーシック・インカムの心は同じであることを学んだ。一人一人の人間は誰かの支えなしでは生きられない弱い存在であり、その弱さを受け入れることから思いやり社会は始まるとの考えを信念に、「ベーシック・インカム実現プロジェクト」を推進中。

合気道とベーシック・インカム

高校生の頃、力を使わず小柄な男が大男を投げ飛ばす合気道を見た僕は、その不思議な技の秘密を知りたくて、ひたすら武道に励んできました。
そして、ある日、突然、合気道の不思議な力の秘密が分かり、その時以来、力を使わず相手を飛ばしたり、相手の力を抜くことが自由自在にできるようになりました。それは手を使わなくても、肩でもお尻でも体のどの部分でもできるのです(笑)。
どうしてこのようなことができるようになったかというと…。
ほとんどの人は地球の引力に逆らって立っています。そのため、気づかないうちに体をいつも緊張させてしまっています(肩こり、腰痛の原因にもなります)。でも、その緊張をどんどん解放させ、脱力させていくと、あるとき、自分をどん底で支えてくれている地球の力に気づきます(地球の中心から来る力だからどん底です)。当たり前ですが、地球が支えてくれていたから立てていたのです。いいえ、支えられながら、かつ、立ち上げさせてくれてもいたのです。このことに体で気づいたとき、僕は心の底から安心しました。
どんなときも、どん底で支えてくれている地球の心に気づいたのですから…。
その時から、合気道の不思議な力も使えるようになりました(それは筋肉の力でなく、地球の力をムチのように伝えて使うのです)。
合気道の植芝盛平開祖は「合気とは愛気だ」と言いましたが、その愛とは、無条件に人を大切にするということです。
それは、ベーシック・インカムの心です。
どん底で私たちを等しく支えてくれている地球の心です。
ベーシック・インカムの実現は、僕のいのちの叫びなのです…。

「ベーシック・インカム実現プロジェクト」世話人 奥原 啓成

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