ベーシック・インカムってな~に?

ベーシック・インカムは、すべての個人に、無条件(タダ)で支給される最低生活費です。赤ちゃんからお年寄りまで、男女に関係なく、収入や財産にも関係なく、ベーシック・インカムは、すべての人に永続的に支給されます。

ベーシック・インカムによって、私たちはお金のためだけに働くことから解放されます。貧困がなくなり、すべての人がより豊かに暮らせます。それによって、現在の経済的な停滞を突破することができます。そして、自分がやりたい仕事や活動へと向かうことができます。

私たちは「働かざるもの食うべからず」と言われて生きています。それほど現在の日本は労働力が不足しているのでしょうか。「働く人はそんなにたくさんいらないよ」と言われて、たくさんのリストラが起こったではありませんか。今でも失業率は高止まりして、かつての低い率に戻りません。

私たちは、働くほどに豊かになれる社会に住んでいるのでしょうか?

そうではありません。私たちの社会では、働きすぎれば在庫の山を作ってしまうのです。科学技術がこんなに進歩したのに、私たちはまだ、アメとムチで人々を働かせようとしています。今の時代に、アメとムチで人々を働かせなければならないのは、生産が不足しているからではありません。会社が利益の奪い合いをしているからです。モノが売れないのです。その小さなパイの奪い合いをして、会社が賃金を減らします。それで、いっそうモノが売れなくなっているのです。

私たちの社会は、本当は豊かです。私たちは、奪い合いをぜずに生きていくことができます。すべての人が豊かに生活できるだけの生産力を、私たちはすでに手にしています。ベーシック・インカムがあれば、すべての人が働かなくてもやっていけます。労働から解放される時間は、社会的活動、文化、芸術、家庭生活の充実など、あらゆることに振り向けることができます。

なかには、「そんな夢のような話、実現するわけないよ」と思う人もいるかもしれませんが、Facebook創業者のザッカーバーグ氏がハーバード大学のスピーチで「ベーシック・インカムの可能性を探索すべき」と試験導入を支持する立場を表明して話題になりました。オンライン決裁システムのPayPal(ペイパル)、電気自動車事業のテスラ・モーターズ、宇宙事業のスペースXなど、世界的企業を立て続けに創設しているイーロン・マスク氏も「コンピュータや知的能力をもった機械が人間の仕事を置き換えていき、しだいに政府が手当てしなければならなくなるだろう。そうなれば、ベーシック・インカム以外に手はないだろう」と語っています。2017年4月のフランス大統領選に社会党候補として選ばれたブノワ・アモン前国民教育相 や、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの人類学者、ジェイソン・ヒッケル教授なども、社会や産業の好転に貢献するとポジティブに受けとめています。

当然、「人々が働かなくなりませんか?」 「社会主義国と同じになりませんか?」「なぜお金持ちにも配るんですか?」「働かざるもの食うべからずではないですか?」という質問も出てくるでしょう。これから順に、それらの質問に対する考えを述べていきます。

誤解その1 人々が働かなくなりませんか?

おそらく、予想されるベーシック・インカムは、月8万円ないし10万円くらいかと思われます。今の社会状況、今の経済規模、実現可能性ということからすると、当面、こんなものだろうと思います。

ちょっと考えてみてください!

月8万円とか10万円とかもらったとして、たぶん飢え死にはしないです。でも、それは飢え死にしないってだけの額だと思います。健康で文化的な生活なんていうのは無理です。そのくらいもらったからって、仕事を辞められるでしょうか…? ちょっと無理でしょう。従いまして、この程度のベーシック・インカムで離職する人は、非常に少ないと予想されます。
それでも仕事を辞める人は、どういう立場の人か?

ひとつは、もともと働くのが非常に苦痛だった人たちです。 うつ病があるとか、体が弱いとか、人間関係が下手だとか…。こういう人たちは、最低限生きていければ仕事を辞めたいんです。

あるいは、チャレンジしてみたいことがある人たちです。「自分は絵描きになりたいんだ。食えさえすれば、そっちの方をもっと追究したい」「起業してみたいんだ」「勉強し直したいんだ」「落語家になりたいんだ」「食えさえすれば、ボランティアを一生懸命やりたいんだ」。結構、そういう人たちがいます。

その他、共働きを余儀なくされている人たちです。主婦の人がパートに出ている場合、いろんな動機があります。その中で多いのは、奥さんも稼がないとやっていけない。子供がある程度大きくなって、教育費がかかり、住宅ローンも抱えてしまっている。そういう場合は、仕事がしたいからじゃなくて、お金を稼ぐしかないから、働いているケースが多いんです。

ちょっと考えて、ベーシック・インカムができたら、仕事が苦痛だから辞める人が数十万人くらい。それから、チャレンジしてみたいことがあるから、仕事を離れる人が数十万人くらい。お金のために余儀なく働いている主婦の数ですが、主婦のパートやアルバイトが、全部で約800万人いますので、その4分の1くらいがお金のためだけの人たちだとして、200万人くらい。そうしますと、おそらく合計で300万人くらい、離職するんじゃないかな…という予想です。 一方、労働人口は6000万人を超えていますので、結局、働かなくなる人たちは、せいぜい、その5%くらいということになります。この程度で社会の大変動を起こすことはないでしょう。そういうわけで、ベーシック・インカムができても、特に、労働力に問題を起こすことはないと思います。

補足 ~ベーシック・インカムは人を怠惰にするのか?~

以下、「アースハック 私たちの未来を考える」の記事を紹介します。
よくそのことを持ち出して反論する人を見かけるが、しかしそれは間違った推論である。こういう場合、極端なケースを考えるとわかりやすい。ここでは、空気が有料になった社会を想定してみよう。汚染かなにかで空気が希少になり、そこの住民は空気ボンベを店で定期的に購入しないと死んでしまう社会だ。そしてその社会がそれでもなんとかうまく回っているというケースだ。ある時、それに疑問をもった住人が異議を唱えた。「空気が有料なのはおかしい!」。これに対してある人が反論した。「空気を無料にしてしまったら、働かなくても生存できるじゃないか?働かなくても生存できるんだったら誰も働かなくなるだろう。空気は必ず労働と引き換えに供給されなければならない。そうしなければ社会は怠惰に陥り、やがて崩壊してしまうだろう」。

誤解その2 社会主義国と同じになりませんか?

みんなが食えるようにすることだけは同じですが、あとは全然違います。 ベーシック・インカムは、経済活動の自由にまったく干渉しません。 ベーシック・インカムは、個人の自由にも干渉しません。 そこが、社会主義国とはまったく違います。

社会主義国は経済にメチャクチャ干渉します。 干渉なんてものじゃなく、国が経済を運営しています。社会主義国は完全雇用をして、その労働で賃金を渡して、人々の生活を確保しようとしました。だから、社会主義国では採算のとれない企業も潰れません。本当は潰れているような企業でも、ちゃんと給料を払います。 国が面倒みてくれるからいいのです。生産は数さえ合っていればいい。 使い物にならないものを作っても平気。 働く方は、時間だけ働いていればいいから、チンタラ無責任に仕事をやった。それで結局、国が潰れてしまったのです。結果の平等を求めるあまり、人々の働く意欲を奪ってしまったのです。

資本主義も社会主義も賃金労働に大きな価値を置きました。どちらも、「働かないと食わせてやらないぞ」という脅しの上に成り立っていたのです。人間の活動は、どんなことも価値があります。賃金労働はもちろん重要なことです。しかし、お金にならない活動も、人間の生活を支えるのに大きな役割を果たしています。家事の仕事。ボランティアワーク。友人との交流。趣味のサークル活動。このような活動は、人間であることに深く根ざしています。金銭の尺度で計れないのももちろんですし、投入した時間で単純に計ることもできません。何もしない時間を持つことも重要です。特に、瞑想的な資質を持つ人たちにとっては、もっとも重要な時間です。人間が深く変容するには、何もしない時間も必要なのです(蝶も同じでしょう。さなぎになって引きこもる時間が、蝶へと変容させるのです)。賃労働でしかお金を得られないという仕組みを変えますと、人間の自発的な活動がさまざまな形で引き出されてきます。社会はたいへん豊かになります。

ベーシック・インカムの場合は、労働に対して払うのではありません。人の生存そのものに対して払います。 企業に試行錯誤はつきもの。 効率重視でけっこう。儲けてもけっこう。潰れてもけっこう。 しかし、人は助ける。何があろうと人が路頭に迷うようなことには絶対にさせないぞ、というのがベーシック・インカムです。 ベーシック・インカムがあれば、失敗を恐れず何度でもチャレンジすることができます。こう考えると、ベーシック・インカムは機会の平等をより推し進めたものと言えるのではないでしょうか…。

誤解その3 なぜお金持ちにも配るんですか?

ベーシック・インカムのもとになる考え方は、すべての人の生きる権利です。

国が人々の権利を保障しようという場合、どんな差別もしないこと、これは絶対的なことです。 お金持ちだからといって差別しません。 ベーシック・インカムは、金持ちかそうでないかという見方を捨てて、社会の絶対的なセーフティ・ネットを作ることに意義があります。 不思議なもので、貧乏人よりお金持ちのほうが、財産をなくす不安が強いものです。 ベーシック・インカムはその不安を軽くします。

また、金持ちと貧乏人を区別しようとすると、どこかに線引きしなくてはならなくなって、その線のところで、もらえる人ともらえない人の不平等を生じます。 金持ちと貧乏人をよりわけ、本当かどうかをチェックするのは、ものすごく大変なことです。 面倒なお役所仕事に、手間と経費をかけたあげく、かえって不平等感や屈辱感が増すんです。 福祉は福祉でちゃんと存在しています。 医療、教育、福祉など、収入に関係なく受けられることは、ベーシック・インカムがあっても同じです。 同じどころかもっと進めます。ベーシック・インカムは金持ちか貧しいかと別な次元にあります。

誤解その4 「働かざるもの食うべからず」ではないですか?

ひと昔前、現在のJRが国鉄と呼ばれていた頃、私たちは切符を窓口にいる駅員さんから購入し、改札口では駅員さんが切符を1枚1枚切ったり、切符を回収していました。
乗り越した場合は、駅員さんが差額を計算して精算も行っていました。
しかし、今は機械で切符を購入するし、改札口も機械に切符を通す、乗り越しの場合も機械が精算してくれます。
駅員さんの代わりに機械が全部やってくれるのです。

つまり、いくらJRの利用者が増えて売上げが上がろうと、機械化によって仕事の効率が上がったぶん、逆に、人間はどんどん必要なくなっているのです。

銀行だってATMの登場によって、振込みや預金の引出しなど、窓口係の代わりに機械がやってくれるようになりました。

コンビニやスーパーだって、商品の金額をいちいち確認しながらレジに打ち込まなくても、今では商品についたバーコードを機械が勝手に読みとってくれるようになり、とうとうセルフレジまで普及し始めています。そうなると、ますます人間は必要なくなってしまうのです。

こういうふうに、便利な機械がいっぱい出てきました。あらゆる分野で機械化が進み、今まで人間がやっていた労働は、どんどん不要になっています。科学技術が発達するたびに、人間は考えます。これで労働から解放されるはずだ。わずかな人たちが働くだけで、生産は足りるはずだ。あるいは、短い時間だけ働けばよくなるはずだ。
でも、そうなっていますか?
 ここに重大な問題があります。

科学技術の進歩によって人間が労働から解放されたら、それによって職を失った人たちはどうやって食べていくんですか?

これはとても重大なことなのに、まともに考えられていません。われわれの社会は、賃金を稼がないと食っていけません。利子生活者になれる人は一握り。ビルを建てて、あるいはアパートを建ててその収入で食える人たちは一握り。みんながそうなったら入居者になって金を払ってくれる人がいなくなってしまいます。いくら科学技術が発達しても、生産性が上がってわずかな人が働けばよいようになっても、我々が賃金をもらって生きる仕組みである以上、誰もが働き続けなければなりません。失業するわけにはいかないのです。
企業は、少ない人でも生産ができるように、懸命の努力をしています。それなのに、社会全体としては、少ない人で生産ができるようにしようとは考えないのです。これをやれなかったのは「働かざるもの食うべからず」や「働かないでお金が入ると、ぐうたらのダメ人間になる」ということを信じ込んでいたためじゃないでしょうか…。 でも、不労所得が人を堕落させるなら、資産家はみんな、ぐうたらのダメ人間だということになります。そんなことないです。人間が立派かどうかは、資産や収入に関係ないはずです。

結局、「働かざるもの食うべからず」というのは、生産が不足している時代の古い倫理なのです。さっさと頭を切り換えましょう。現代の日本で生産が不足しているでしょうか?今の不況はもっと働けば解決するのでしょうか?いいえ、生産は足りています。足りているどころか有り余っています。粗大ごみ置き場は、まだ使えるものが山ほど出てきます。まだ走れる車が、中古車市場にいくらでも出てきます。レストランの食べ残しがどれほど出ることでしょうか…。

我々は、作れなくて困っているのではありません。買ってくれる人がいなくて困っているのです。

そのため、失業する人や非正規雇用の人たちがたくさん生まれています。売れる見込みがないのですから、企業は雇用の増やしようもありませんし、設備投資もできません、人々をこれ以上、生産へと駆り立てても、生産活動は活発になりません。今は、生活する人たちがもっとお金を使えるようにすると、経済がもっとよく循環するのです。貧困を解決するだけで、経済成長が可能なのです。

社会には必ず、生産に携わらない人たちが多数います。日本の人口の半分は、老人と子どもと家事に専念する人たちと学生です。この人たちは消費しかしません。
それはいけないことですか?

消費しかしない人たちがいることが、経済循環を妨げていますか?

とんでもない。この人たちが食べているから、生産者の作ったものが売れるのです。働かずに食う人たちは大事なのです。科学技術がこれだけ発達したのですから、労働人口はもっと減らすことができます。働かずに食う人たちを、老人、子ども、家事に専念する人たちに限定する必要があるでしょうか。科学技術は、より少ない労働でもやっていけるようにするためにあるのではありませんか?

働くものたちが働かないものたちに言います。「私たちが働いているから、あんたたちは食えるのだ」もちろんそれは正しいのですが、ひとつの面からしか見ていません。

働かないものたちはこう言ってよいのです。「私たちが食っているから、あんたたちの職があるんだ」それを堂々と言えばよいのです。生産者と消費者は、相互に依存しています。生産がなければ消費はあり得ません。消費がなければ生産は無駄になります。どれだけの人が働いたら、みんなが生活できるだけの生産が可能か、これは科学技術の問題です。倫理・道徳の問題ではありません。

誤解その6 生産は労働で消費は労働ではない?

商品を生産しても誰も買ってくれなければ、その商品は全部売れ残ってしまいます。その場合、何の価値も提供できなかったのですから、何も生産しなかったのと同じことになってしまいます。生産はあくまで人々の生活のためにあるのですから、消費されなければ、せっかくの生産の意味も価値もなくなるのです。

よく考えてみれば、消費自体が、よりよい商品やサービスを選択するという意味での投票行為と言えます。さらに消費は、今後のよりよい生産につながるクレームや意見や要望などのフィードバックも行っています。労働とは何らかの価値を高めたり、生み出したりする活動のことですから、これらの消費活動はすべて労働にあたるでしょう。

つまり、生産も消費も同じ労働だったということになります。

生産も消費もコインの裏表のように一体のもので、労働の片側だけ見て生産、消費と呼んでいたにすぎないとは言えないでしょうか…。
だから、消費しかしない人たちも、正しくは、よりよい生活を創造するために欠かせない大切な労働をしているのに、ボランティアのようにお金をもらえていないだけなのです。

生産技術が未熟な時代には、生産の方が不足していました。そのため生産に
資金をつぎ込むほどに、生産が増えました。しかし、消費のほうが不足している現代では、生活のほうに資金をつぎ込むと生産が増えます。

生産も消費も同じ労働なのですから、消費者に生活費を渡しても同じことなのです。

生活者にお金を渡せば、生活費に使います。その生活費は、どこかの企業の所得になり、再び、生活費となって戻ってきます。生活者に生活資金を作り出してもいいというのは、それが実際の生産活動になるからです。
生活者に生活費を作り出して渡してしまおうという発想がここから生まれます。
特に、最低生活費として作り出されるお金は、必ず使われますから、それに見合った実質の生産活動を保証しています。

このお金は、生活と生産を同時に保証しているではありませんか!

ベーシック・インカム実現プロジェクト