ベーシック・インカム実現プロジェクト

当ホームページは、古山明男著「ベーシック・インカムのある暮らし」をもとに、その思想とアイデアの普及およびベーシック・インカムの実現を目的に、作成されたものです

ベーシック・インカムってナ〜ニ?

ベーシック・インカムは、すべての個人に、無条件(タダ)で支給される最低生活費です。

赤ちゃんからお年寄りまで、男女に関係なく、収入や財産にも関係なく、ベーシック・インカムは、すべての人に永続的に支給されます。

ベーシック・インカムによって、私たちはお金のためだけに働くことから解放されます。そして、自分がやりたい仕事や活動へと向かうことができます。

ベーシック・インカムがあれば、貧困がなくなり、すべての人がより豊かに暮らせます。それによって、現在の経済的な停滞を突破することができます。

私たちは「働かざるもの食うべからず」と言われて生きています。それほど現在の日本は労働力が不足しているのでしょうか。「働く人はそんなにたくさんいらないよ」と言われて、たくさんのリストラが起こったではありませんか。今でも失業率は高止まりして、かつての低い率に戻りません。

私たちは、働くほどに豊かになれる社会に住んでいるのでしょうか。そうではありません。私たちの社会では、働きすぎれば在庫の山を作ってしまうのです。科学技術がこんなに進歩したのに、私たちはまだ、アメとムチで人々を働かせようとしています。今の時代に、アメとムチで人々を働かせなければならないのは、生産が不足しているからではありません。会社が利益の奪い合いをしているからです。モノが売れないのです。その小さなパイの奪い合いをして、会社が賃金を減らします。それで、いっそうモノが売れなくなっているのです。

私たちの社会は、本当は豊かです。私たちは、奪い合いをぜずに生きていくことができます。すべての人が豊かに生活できるだけの生産力を、私たちはすでに手にしています。ベーシック・インカムがあれば、すべての人が働かなくてもやっていけます。労働から解放される時間は、社会的活動、文化、芸術、家庭生活の充実など、あらゆることに振り向けることができます。

なかには、「そんな夢のような話、実現するわけないよ」と思う人もいるかもしれません(スイスでは、国民一人あたり毎年336万円のベーシック・インカムを支給するかどうか、その国民投票を行うことが、すでに決まっています)。

当然、「人々が働かなくなりませんか?」 「社会主義国と同じになりませんか?」「なぜお金持ちにも配るんですか?」「働かざるもの食うべからずではないですか?」という質問も出てくるでしょう。これから順に、それらの質問に対する考えを述べていきます。

誤解その1 人々が働かなくなりませんか?

おそらく、予想されるベーシック・インカムは、月8万円ないし10万円くらいかと思われます。今の社会状況、今の経済規模、実現可能性ということからすると、当面、こんなものだろうと思います。

ちょっと考えてみてください!

月8万円とか10万円とかもらったとして、たぶん飢え死にはしないです。でも、それは飢え死にしないってだけの額だと思います。健康で文化的な生活なんていうのは無理です。そのくらいもらったからって、仕事を辞められるでしょうか…? ちょっと無理でしょう。従いまして、この程度のベーシック・インカムで離職する人は、非常に少ないと予想されます。

それでも仕事を辞める人は、どういう立場の人か?

ひとつは、もともと働くのが非常に苦痛だった人たちです。 うつ病があるとか、体が弱いとか、人間関係が下手だとか…。こういう人たちは、最低限生きていければ仕事を辞めたいんです。

あるいは、チャレンジしてみたいことがある人たちです。「自分は絵描きになりたいんだ。食えさえすれば、そっちの方をもっと追究したい」「起業してみたいんだ」「勉強し直したいんだ」「落語家になりたいんだ」「食えさえすれば、ボランティアを一生懸命やりたいんだ」。結構、そういう人たちがいます。

その他、共働きを余儀なくされている人たちです。主婦の人がパートに出ている場合、いろんな動機があります。その中で多いのは、奥さんも稼がないとやっていけない。子供がある程度大きくなって、教育費がかかり、住宅ローンも抱えてしまっている。そういう場合は、仕事がしたいからじゃなくて、お金を稼ぐしかないから、働いているケースが多いんです。

ちょっと考えて、ベーシック・インカムができたら、仕事が苦痛だから辞める人が数十万人くらい。それから、チャレンジしてみたいことがあるから、仕事を離れる人が数十万人くらい。お金のために余儀なく働いている主婦の数ですが、主婦のパートやアルバイトが、全部で約800万人いますので、その4分の1くらいがお金のためだけの人たちだとして、200万人くらい。そうしますと、おそらく合計で300万人くらい、離職するんじゃないかな…という予想です。
一方、労働人口は6000万人を超えていますので、結局、働かなくなる人たちは、せいぜい、その5%くらいということになります。この程度で社会の大変動を起こすことはないでしょう。そういうわけで、ベーシック・インカムができても、特に、労働力に問題を起こすことはないと思います。

誤解その2 社会主義国と同じになりませんか?

みんなが食えるようにすることだけは同じですが、あとは全然違います。 ベーシック・インカムは、経済活動の自由にまったく干渉しません。 ベーシック・インカムは、個人の自由にも干渉しません。 そこが、社会主義国とはまったく違います。

社会主義国は経済にメチャクチャ干渉します。 干渉なんてものじゃなく、国が経済を運営しています。社会主義国は完全雇用をして、その労働で賃金を渡して、人々の生活を確保しようとしました。だから、社会主義国では採算のとれない企業も潰れません。本当は潰れているような企業でも、ちゃんと給料を払います。 国が面倒みてくれるからいいのです。生産は数さえ合っていればいい。 使い物にならないものを作っても平気。 働く方は、時間だけ働いていればいいから、チンタラ無責任に仕事をやった。それで結局、国が潰れてしまったのです。社会主義国は、労働そのものに価値があるとしています。 だから、作ったものはみんな価値があることになった。しかし、労働というのは人の営みそのもので、賢いことも愚かなこともするものです。

ベーシック・インカムの場合は、労働に対して払うのではありません。人の生存そのものに対して払います。 企業に試行錯誤はつきもの。 効率重視でけっこう。儲けてもけっこう。潰れてもけっこう。 しかし、人は助ける。何があろうと人が路頭に迷うようなことには絶対にさせないぞ、というのがベーシック・インカムです。 効率の悪い企業、採算のとれない企業は、自然に退場します。 社会主義国は、企業を国営にして絶対に潰れないようにすることで、誰もが食える社会を作ろうとした。 そうしたら、人まで助けられなくなってしまいました。

誤解その3 なぜお金持ちにも配るんですか?

ベーシック・インカムのもとになる考え方は、すべての人の生きる権利です。

国が人々の権利を保障しようという場合、どんな差別もしないこと、これは絶対的なことです。 お金持ちだからといって差別しません。 ベーシック・インカムは、金持ちかそうでないかという見方を捨てて、社会の絶対的なセーフティ・ネットを作ることに意義があります。 不思議なもので、貧乏人よりお金持ちのほうが、財産をなくす不安が強いものです。 ベーシック・インカムはその不安を軽くします。

また、金持ちと貧乏人を区別しようとすると、どこかに線引きしなくてはならなくなって、その線のところで、もらえる人ともらえない人の不平等を生じます。 金持ちと貧乏人をよりわけ、本当かどうかをチェックするのは、ものすごく大変なことです。 面倒なお役所仕事に、手間と経費をかけたあげく、かえって不平等感や屈辱感が増すんです。 福祉は福祉でちゃんと存在しています。 医療、教育、福祉など、収入に関係なく受けられることは、ベーシック・インカムがあっても同じです。 同じどころかもっと進めます。ベーシック・インカムは金持ちか貧しいかと別な次元にあります。

誤解その4 「働かざるもの食うべからず」ではないですか?

ひと昔前、現在のJRが国鉄と呼ばれていた頃、私たちは切符を窓口にいる駅員さんから購入し、改札口では駅員さんが切符を1枚1枚切ったり、切符を回収していました。
乗り越した場合は、駅員さんが差額を計算して精算も行っていました。
しかし、今は機械で切符を購入するし、改札口も機械に切符を通す、乗り越しの場合も機械が精算してくれます。
駅員さんの代わりに機械が全部やってくれるのです。

つまり、いくらJRの利用者が増えて売上げが上がろうと、機械化によって仕事の効率が上がったぶん、逆に、人間はどんどん必要なくなっているのです。

銀行だってATMの登場によって、振込みや預金の引出しなど、窓口係の代わりに機械がやってくれるようになりました。
コンビニやスーパーだって、商品の金額をいちいち確認しながらレジに打ち込まなくても、今では商品についたバーコードを機械が勝手に読みとってくれるようになり、とうとうセルフレジまで普及し始めています。そうなると、ますます人間は必要なくなってしまうのです。

こういうふうに、便利な機械がいっぱい出てきました。あらゆる分野で機械化が進み、今まで人間がやっていた労働は、どんどん不要になっています。科学技術が発達するたびに、人間は考えます。これで労働から解放されるはずだ。わずかな人たちが働くだけで、生産は足りるはずだ。あるいは、短い時間だけ働けばよくなるはずだ。でも、そうなっていますか?

ここに重大な問題があります。

科学技術の進歩によって人間が労働から解放されたら、それによって職を失った人たちはどうやって食っていくんですか?

これはとても重大なことなのに、まともに考えられていません。われわれの社会は、賃金を稼がないと食っていけません。利子生活者になれる人は一握り。ビルを建てて、あるいはアパートを建ててその収入で食える人たちは一握り。みんながそうなったら入居者になって金を払ってくれる人がいなくなってしまいます。いくら科学技術が発達しても、生産性が上がってわずかな人が働けばよいようになっても、我々が賃金をもらって生きる仕組みである以上、誰もが働き続けなければなりません。失業するわけにはいかないのです。
企業は、少ない人でも生産ができるように、懸命の努力をしています。それなのに、社会全体としては、少ない人で生産ができるようにしようとは考えないのです。科学技術だけでは、人間を労働から解放できません。人間を労働から解放するには、働かなくても収入が得られるシステムが必要なのです。それなのに、これをやれなかったのは「働かざるもの食うべからず」や「働かないでお金が入ると、ぐうたらのダメ人間になる」ということを信じ込んでいたためじゃないでしょうか…。 でも、不労所得が人を堕落させるなら、資産家はみんな、ぐうたらのダメ人間だということになります。そんなことないです。人間が立派かどうかは、資産や収入に関係ないはずです。

結局、「働かざるもの食うべからず」というのは、生産が不足している時代の古い倫理なのです。さっさと頭を切り換えましょう。現代の日本で生産が不足しているでしょうか?今の不況はもっと働けば解決するのでしょうか?いえ、いえ、生産は足りています。足りているどころか有り余っています。粗大ごみ置き場は、まだ使えるものが山ほど出てきます。まだ走れる車が、中古車市場にいくらでも出てきます。レストランの食べ残しがどれほど出ることでしょうか。

我々は、作れなくて困っているのではありません。買ってくれる人がいなくて困っているのです。

そのため、失業する人や非正規雇用の人たちがたくさん生まれています。売れる見込みがないのですから、企業は雇用の増やしようもありませんし、設備投資もできません、人々をこれ以上、生産へと駆り立てても、生産活動は活発になりません。今は、生活する人たちがもっとお金を使えるようにすると、経済がもっとよく循環するのです。貧困を解決するだけで、経済成長が可能なのです。

社会には必ず、生産に携わらない人たちが多数います。日本の人口の半分は、老人と子どもと家事に専念する人たちと学生です。この人たちは消費しかしません。

それはいけないことですか?

消費しかしない人たちがいることが、経済循環を妨げていますか?

とんでもない。この人たちが食べているから、生産者の作ったものが売れるのです。働かずに食う人たちは大事なのです。科学技術がこれだけ発達したのですから、労働人口はもっと減らすことができます。働かずに食う人たちを、老人、子ども、家事に専念する人たちに限定する必要があるでしょうか。科学技術は、より少ない労働でもやっていけるようにするためにあるのではありませんか。

働くものたちが働かないものたちに言います。「私たちが働いているから、あんたたちは食えるのだ」もちろんそれは正しいのですが、ひとつの面からしか見ていません。

働かないものたちはこう言ってよいのです。「私たちが食っているから、あんたたちの職があるんだ」それを堂々と言えばよいのです。生産者と消費者は、相互に依存しています。生産がなければ消費はあり得ません。消費がなければ生産は無駄になります。どれだけの人が働いたら、みんなが生活できるだけの生産が可能か、これは科学技術の問題です。倫理・道徳の問題ではありません。

ベーシック・インカムと優しさ